映画【正欲①】生きるために必死だった道のりを、ありえないって簡単に片付けられたこと、ありますか?

浅井リョウさん原作、「正欲」が映画化され、2023/11/10から全国で上映が開始されました。

個人的に、原作をずっと読みたいなと思っていたのですが、ぼやぼやしている間に映像化されてしまいました。ですので少し抵抗はありましたが、今回は原作の予習なしに映画を観に行くことにしました。 

 

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映画を観に行った感想としては、上手く言えませんが、とても心に残る作品になりました。映画館を出てその足で本屋に寄って文庫本を買ってしまうくらい感動しました。そのため、この感動が時間と共に薄まらないように、さらに誰かと共有できたらいいなという思いから、ブログに書き起こしてみることにしました。

 

この物語は寺井啓喜 佐々木佳道 桐生夏月 神戸八重子 諸橋大也、主にこの5人の対比によって描かれていたように思います。作中たくさんの印象に残るセリフがありましたので、そのセリフを紹介しながら、そのセリフが表す対比やそのシーンの感想・考察などを書いていきたいと思います。

(映画鑑賞後、原作も読みましたがあくまで映画の感想を語っていこうと思います。)

ここからネタバレを含みます

 

マジョリティとマイノリティ

啓喜「まあ、ありえないですけど」

夏月「生きるために必死だった道のりを、ありえないって簡単に片付けられたこと、ありますか?」

 

これは物語の終盤、取り調べの際に対峙した啓喜と夏月、2人のやりとりです。このやりとりにはこの作品のメインテーマであるマジョリティとマイノリティの対比が象徴されているように感じました。

 

「人間の異性に恋愛感情を抱く」「結婚して家庭を持つ」そんな世の中の"当然"を、自らにも当然として当てはめることができた啓喜、一方で人間が性欲の対象にならない佳道、夏月、大也。つまり、その"当然"に自分を当てはめることができなかった3人。互いに同じフェチを持つもの同士で繋がることができたものの、やはりマジョリティ側の人間とは決して理解し合えることはないのだということが、改めて浮き彫りになったシーンのように見えます。

 

映画の構成上、私としてはどうしても夏月や佳道に感情移入して筋を追っていました。物語の中盤では、同じ指向を持つもの同士ようやく繋がることができた安堵があったのですが、その繋がりが裏目になり最後には現実を突きつけられる結果になりました。完璧なハッピーエンドで終わらないのも、この作品の魅力のひとつですよね。

 

他にも印象に残るシーンがたくさんあった映画でしたので、次回以降また紹介していこう思います。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!