映画【正欲②】それでも私は理解したいと思う

こんにちは、ミッケです!

今回も浅井リョウさん原作の映画「正欲」について語っていきたいと思います。

 

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ネタバレを含みます

 

この物語は寺井啓喜 佐々木佳道 桐生夏月 神戸八重子 諸橋大也、主にこの5人の対比によって描かれていたように思います。作中たくさんの印象に残るセリフがありましたので、そのセリフを紹介しながら、そのセリフが表す対比やそのシーンの感想・考察などを書いていきたいと思います。

(映画鑑賞後、原作も読みましたがあくまで映画の感想を語っていこうと思います。)

 

 

 

 

自己防衛

八重子「それでも私は理解したいって思う」

啓喜「社会のバグは本当にいるの、悪魔みたいなやつがいるんだよ」

 

 

ストーリー上、直接関わることのなかった八重子と啓喜。しかしこれらのセリフから、2人のマイノリティに対する姿勢に大きな違いがあることがわかります。

 

八重子は男性恐怖症です。しかし一方で、恋愛対象は男性であることも作中で明かされており、これら2つの矛盾した感情に八重子は日々苦しんでいます。

この実体験が影響しているのか、あるいは想い人の大也と親密になりたい下心も含まれているかもしれませんが、八重子はなかなか心を開かない大也に対して悩みを打ち明けるよう迫ります。

八重子の強引さにら少しイタさも感じる部分もありますが、最後はこのまっすぐなイタさに大也も少し救われていたように思います。

 

この八重子とは対照的に描かれているのが啓喜であり、マイノリティ側の人間に歩み寄る姿勢を一切見せません。

啓喜は検察官という職業柄、おそらく数えきれないほどの犯罪者、同時にその犯罪心理に触れてきたはずです。犯罪を実行に移すにはきっと様々な背景があります。上で紹介したセリフにもあるように、愉快犯など本当に"悪魔のようなやつ"も一定数存在するのでしょう。

しかしそれ以上に抱えきれない怒りや、行き場のない欲望、望まないパーソナリティによって犯罪に手を染めてしまった人を数多く見てきていることでしょう。そこで感情で左右されないよう善悪の境を定めたのが法律。法律によって過程ではなく、結果をみて善悪を判断するのが司法の役目。毎回被疑者に感情移入していては、おそらく心が持ちませんし、職務を全うできません。

啓喜は検事という仕事を続けているうちに、無意識に他人に共感する能力を欠落してしまったのかもしれません。

 

自分とは違う価値観の人を受け入れることで、自分も相手から受け入れてもらおうとすること。

自分の知らない世界を真っ向から否定し、見なかったことにすること。

どうせ理解されないからと初めから心を閉ざしてしまうこと。

人間の自己防衛に様々な形があるのだと気付かされるストーリーでした。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

次の投稿もよろしくお願いします。

映画【正欲①】生きるために必死だった道のりを、ありえないって簡単に片付けられたこと、ありますか?

浅井リョウさん原作、「正欲」が映画化され、2023/11/10から全国で上映が開始されました。

個人的に、原作をずっと読みたいなと思っていたのですが、ぼやぼやしている間に映像化されてしまいました。ですので少し抵抗はありましたが、今回は原作の予習なしに映画を観に行くことにしました。 

 

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映画を観に行った感想としては、上手く言えませんが、とても心に残る作品になりました。映画館を出てその足で本屋に寄って文庫本を買ってしまうくらい感動しました。そのため、この感動が時間と共に薄まらないように、さらに誰かと共有できたらいいなという思いから、ブログに書き起こしてみることにしました。

 

この物語は寺井啓喜 佐々木佳道 桐生夏月 神戸八重子 諸橋大也、主にこの5人の対比によって描かれていたように思います。作中たくさんの印象に残るセリフがありましたので、そのセリフを紹介しながら、そのセリフが表す対比やそのシーンの感想・考察などを書いていきたいと思います。

(映画鑑賞後、原作も読みましたがあくまで映画の感想を語っていこうと思います。)

ここからネタバレを含みます

 

マジョリティとマイノリティ

啓喜「まあ、ありえないですけど」

夏月「生きるために必死だった道のりを、ありえないって簡単に片付けられたこと、ありますか?」

 

これは物語の終盤、取り調べの際に対峙した啓喜と夏月、2人のやりとりです。このやりとりにはこの作品のメインテーマであるマジョリティとマイノリティの対比が象徴されているように感じました。

 

「人間の異性に恋愛感情を抱く」「結婚して家庭を持つ」そんな世の中の"当然"を、自らにも当然として当てはめることができた啓喜、一方で人間が性欲の対象にならない佳道、夏月、大也。つまり、その"当然"に自分を当てはめることができなかった3人。互いに同じフェチを持つもの同士で繋がることができたものの、やはりマジョリティ側の人間とは決して理解し合えることはないのだということが、改めて浮き彫りになったシーンのように見えます。

 

映画の構成上、私としてはどうしても夏月や佳道に感情移入して筋を追っていました。物語の中盤では、同じ指向を持つもの同士ようやく繋がることができた安堵があったのですが、その繋がりが裏目になり最後には現実を突きつけられる結果になりました。完璧なハッピーエンドで終わらないのも、この作品の魅力のひとつですよね。

 

他にも印象に残るシーンがたくさんあった映画でしたので、次回以降また紹介していこう思います。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!